2019年01月17日

鎖国とキリスト教の禁止

◆要点◆
朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)
徳川家康が朱印状(しゅいんじょう)を出して大名や大商人が行なった。
東南アジアに日本町(にほんまち)ができる。

絵踏(えぶみ)
キリスト教徒を発見するためにキリスト像などを踏ませた。

島原・天草一揆(しまばら・あまくさいっき)
1637年に島原(長崎県)や天草(熊本県)で起こった一揆。
キリシタンたちが天草四郎(あまくさしろう)を指導者とした。

鎖国(さこく)
1639年にポルトガル船の来航を禁止。
1641年にオランダ商館を平戸から長崎の出島(ながさきのでじま)に移す。

朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)
将軍の代がわりごとに朝鮮から来た使節。

松前藩(まつまえはん)
蝦夷地の南部を支配し、アイヌと交易をした。

◆基本解説◆
江戸時代初期には徳川家康が始めた朱印船貿易が行なわれました。
幕府の将軍は西日本の大名や大商人に貿易を許可する朱印状を出しました。
朱印状を持った朱印船(しゅいんせん)は東南アジアで貿易をし、各地には日本町がつくられました。
日本町に移り住んだ人には、シャム(タイ)のアユタヤで高官となった山田長政(やまだながまさ)もいました。

しかし、1612年にはキリスト教禁止令が出され、1616年にはヨーロッパ船との貿易は長崎と平戸だけに制限されました。
第3代将軍の徳川家光は1624年にスペイン船の来航を禁止、1635年には朱印船貿易を止めて日本人の海外渡航を禁止しました。
キリスト教徒(キリシタン)を発見するために、絵踏が行なわれるようにもなりました。
キリストの像などの踏み絵(ふみえ)を足で踏ませ、キリシタンでないと証明させました。

キリスト教徒への弾圧と厳しい年貢の取り立てに対して、1637年に島原・天草一揆(島原の乱)が起きました。
天草四郎という少年を指導者にして、キリスト教徒やキリシタン大名に仕えていた浪人たちが立ち上がりました。
幕府が鎮圧したあとには、仏教徒であると寺院に認めてもらう宗門改(しゅうもんあらため)が行なわれるようになりました。

1639年にはポルトガル船の来航が禁止され、オランダと中国以外との貿易を制限するようになりました。
1641年にはオランダ商館を平戸から長崎の出島に移しました。
後に、これらを鎖国と言うようになります。
オランダ商館長には「オランダ風説書」(オランダふうせつがき)を出させ、中国の清(しん)の商人には長崎に唐人屋敷(とうじんやしき)を与えて「唐船風説書」(からふねふうせつがき)を出させました。

朝鮮出兵ののちの朝鮮とは、徳川家康が対馬藩(つしまはん)の宗氏(そうし)を仲介として国交を回復しました。
朝鮮からは将軍の代がわりごとに朝鮮通信使が送られるようになり、対馬の宗氏には朝鮮との貿易が許されていました。

江戸時代の初め、沖縄では琉球王国が薩摩藩(さつまはん)によって征服されました。
薩摩藩は琉球王国を通して中国と貿易をしていました。
蝦夷地(北海道)の南部では松前藩が支配しており、アイヌとの交易を独占していました。
松前藩の商人が不公正な取引を行なっていたため、1669年にアイヌのシャクシャインが蜂起しましたが鎮圧されました。
posted by 中学歴史まとめ at 08:19| 江戸時代前期 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする